最近、テレビで見て「そうでしょ?」と大きくうなずいたニュースというか気象情報が一つ。
画面一番左が2011年の棒
それは“今年(2018年)の花粉はとても多い”という内容だったのだが、掲出された棒グラフを見たら、ケタ違いに多いとされている今年(2018年)より、多いのが2011年だった。
誰も口にしないが、あの年の花粉は本当にすごかった。
けれども、社会は「花粉でつらい」なんて言ったら怒られそうな空気だったのだ。
ぬいぐるみのような動物パン(新宿)
東日本大震災が起こった2011年の3月11日はテレビ局の報道フロアの中で一晩中仕事をして、翌朝にいったん帰宅となった。
私が最初にやったのは、ドラッグストアで花粉症の飲み薬とマスクを調達すること。
日出学園は日大に吸収されて「目黒日大」に
病院に行く余裕はない。
でも、飲み薬とマスクさえあれば、この時局は乗り切れると考えたのだ。
睡眠や食事、入浴などはいくらでも我慢できるが、花粉症のままでは仕事ができないと判断した。
この2つを入手してから帰宅し、浴槽に水を貯めて、仮眠をとった。
横浜中華街は食べ放題に様変わり
それほどまでに、私にとっては重要な物資だった。
“被災地にも花粉症の方はいらっしゃるだろうに、私だけ安全な町で花粉症の薬をお金で買ってすみません”という気持ちはあった。
それでも、被災地に正確な情報を届けるために、私に欠かせないものだったのだ。
当時は薬を飲んでも鼻水は垂らしていて、周りの人からは「花粉がつらそうですね」と、たくさん声をかけてもらった。
”今とんでもない花粉が飛んでいる…”とは思っても、その当時、そしてそれから何年も、震災の月の花粉のことが話題にされることはなかった。
今回、体感とか個人差ではなく、本当に最も多かったとわかってスッキリした。
歌舞伎町のノボくん
そうだ、これから避難リュックには花粉症の薬とマスクを入れよう。
ティッシュは切れるから、洗って使えるガーゼのほうがいいね。
全国花粉党の皆さんも、ぜひ備えてください。
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