コロナ禍の関係で、4年ぶりに復活した浅草サンバカーニバル。
休会もあったため、今回は規模を縮小しての開催。
人数もパートも少なく、通る道も半分で演技も半分。
さらに逆走、アレゴリア(山車イコールフロート)もなし、コンテスト形式もなし。
更衣室も、打ち上げの場所も別で、おまけに通常が8月の土曜、今回は9月の日曜となった。
めちゃくちゃ東京らしいランドマークだ
2003年から始めて、途中開催されない年が4回あったものの、あしかけ20年。、
広島バトンに在籍していたのが15年なので、軽くそれを超える長年やってきたことになる。
フッキーちゃんと盛り上げ隊の先頭列を務めた
20年の間には大きな思い出が2つ。
その1つは、400人のチームでただ1人写真に撮られて毎日新聞に掲載された。
その紙面を使った毎日新聞の広告が都営浅草線の浅草駅に掲出されたから、さあ大変。
そこから4-5年、ずっと浅草駅の壁に私は出ていたのだった。
この衣装の人たちはレジェンドのOBたちが多い
そして、もう1つが、浅草サンバの総合演出さん(カルナバレスコ)にプレゼンテーションして、自分のアーラ(パート)を新設してもらったことだ。
サンバは決まりきった編成があるので、新しいアーラをつくるのは、野球に10番目のポジションをつくるようなことなのだ、は
バトンでいろんなものを回してきた経験から、前年の曲に、前年の衣装を着て、100円ショップで買ったデッキブラシに振りをつけた。
それを動画に撮り、YouTubeにアップロード。
メールで提出したのはそのURLだけだ。
これが伝説の(?)一言も話さず決まった「1行プレゼン」。
自作のチームカラーのカチューシャを付けたベテランさん
本来はバトンのアーラだが、額縁、幟、帆、傘…毎年いろんな物を回してきたなあ。
今年もチームカラーの青と白の小旗を持って元気よく踊ったが、ゴール手前でハッと我に返った。
あら、私61歳じゃん。
おばあさんじゃん。
まさかこんたおばあさんになってまで、何かを回しなだらパレードで踊っているとは、子どもの自分は全く想像していなかった。
今年の打ち上げはスカイツリーの麓の大型居酒屋
今年やってみて、特段疲れることもなく、1年で急激に体力が落ちるわけでも、記憶力が飛ぶわけでもないとは思うので、来年以降もまだまだできそう。
でも、もしかしたら、今年で一区切りとさせてもらうかもそれない。
今年は順位争いはございません
体力、時間、お金、やる気はある。
ただ、同世代の人も少なくて、若い子たちばかりだと、話も合わないので今一つ楽しくなくなってきた。
そういうことは一切無視して、踊れる器としてサンバをとらえれて割り切ればいいのかもしれないが。
逆走ルートでツリーがよく見えた
でも一方で「もうお年だから(倒れられても困るので)アマノさんもう出ないでください」と言われるまでやってみたい気持ちもある。
まあ。ゆっくり考えておきます。
毎年のことながら出演者は写真撮れません。
1枚も写真がない年もあったなあ。
これから続々と写真、動画は入手できると思うので、都度お知らせしていきまーす。
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