震災太りした。
焼け太りのように震災で保険がおりたとかではなく、実際に体重が増えたのだ。「次はいつ食べられるかわからない」「モッタイナイ」と、出された食べ物、差し入れをきっちり食べ続けた結果だ。
痩せ方は分かっている。摂取カロリーを低くし、消費カロリーを増やす。これにつきる。しかし「今はダイエットなんかやっている場合ではない」と思い、減量は先送りにしてきた。確かにダイエットをしてはいけない時期というものはあるのだ。例えば妊婦さん。子どもに栄養が必要なんだからいくら体重が増えようと、出産後でなければダイエットなんかしちゃダメだ。
私の場合は、震災報道と自分の本を書き上げるまではそんなことをしていてはダメだと思った。何が○カロリーで、今日は何と何を食べた…というようなことに頭を使っている場合じゃない。しかし、いったん災害後モードは終わったと考えていいだろう。その次に残ったのは本。 “そんなことを考える暇があったら1行でも早く書いて終わらせろ!”と、もう一人の自分が仁王立ちしていた。
ある日やっと「はじめに」と「おわりに」まで書いて渡したので、“今日からダイエットのことを考えてもよし!”と思ったが、即日書き直し命令が下った。「ダイエットはアシタから~♪」というCMがあるが、“またダイエットは先送りか”とガックリきた。その後、計3回書いたし締め切りもあるので、さすがに今後の書き直しはないはずだ。
…というわけで、少し前から私の食餌制限は始まっております。
10月にダンス公演はあるから痩せなきゃとは思っていたが、その前に6月のダンス公演も入ってきたので、緊急に痩せる必要が出てきた。最近、前回のDVDを見る機会があったが2005年頃の私は痩せていた。そりゃそうだ。「これが一生で一番の晴れ舞台」と思って、ひと月がんばって痩せてから京都に行ったのだから。
「痩せる」で思い出すのが「毎日かあさん」という映画の役作りのために2週間で12kg痩せた俳優の永瀬正敏さんだ。インタビューでは「ありとあらゆることをして減量しました」と答えていたので、ありとあらゆることをすれば減量はできるんだなと思った。大学1年の時、レスリング部の級友が団体戦で自分の体重よりはるかに低い級に出るために減量していたさまもよく覚えている。「サウナスーツを着て走っても走っても体重が落ちなくて、汗も塩味がしない」と彼は言ってたものだ。必要なときにはありとあらゆることをして体重は落とさなければいけないのだ。
とりあえず私は外ではフリーズドライのぞうすいを持ち歩いてサラダバー。好物のもやしを多めに盛る。家では具だくさん味噌汁(豚汁風)を1週間分程度作り置きしたものと小さい茶碗のご飯。年中冷蔵庫にある焼きイモもたまに。コーヒーは温かい麦茶に変更。あとは過去に何回もやった豆乳ベースの野菜ジュースのプチ断食もやっとかないとダメだな。さらに体力作りも兼ねて家の前の公園周回の走り込み。
…ほら、痩せるためにはこうやってあれこれ頭を使わなきゃいけないんですよ。走ると疲れて寝るのでやっぱり本を書いている時は無理。新しく何か書かなくていいんなら何だってできるもん。
とにかく6月26日には最高のコンディションにもっていきますとも。
(こういう時のこの人の集中力は相当なもの。宣言することで背水の陣を敷く)
■日刊 ちょいスポ(No.1489)
「十両13人」
25日、日本相撲協会の名古屋場所の番付編成会議を行い十両昇進力士13人が発表された。新十両7人、再十両6人。この人数は戦後最高だという。技量審査場所をやったとはいえ、これはさすが量産しすぎではないだろうか。通常より厳しくしなければ世間が黙っちゃいない。
プレゼン・コンシェルジュNOVOの辛口web日記は
ただいま【第2519号】