近所のお宅の前にチューリップ
が咲いていた。
正確には「本郷通りの植え込み」
そこで思い出したのは実家の花壇だ。花壇というほどおしゃれなものではないが、打越町にもあったし、今の実家にもある。もしかして打越の家のレンガ花壇は母が勝手に作ったものかもしれない。レンガを積んでいたような記憶が…。
春はチューリップ、パンジー、夏は朝顔、松葉牡丹が咲いていた。サルビアも咲いていたかな?すべて母が植えてはお世話していたものだ。
これはお風呂屋さんのお宅の鉢植え
学校の先生ということもあるが、ガーデニングというおしゃれな言葉もない時代に、3人の娘がいて、働きながらよくそんな面倒なことができていたものだ。さらにはヒヤシンスの球根の水栽培もやっていたような気がする。
それだけではなく、冬は白菜漬け、夏はぬか漬けもやっていた。レース編みもやってたわ。ひな祭りにはおひな様を出し、クリスマスにはツリーを飾り、本格おせちも作っていた。夏は娘らに浴衣を着せ、正月には着物も着せていた母。
普通の日の夕食に茶碗蒸し、日曜の朝にホットケーキなんて焼いていたし、祭りともなれば巻きずしやちらし寿司も作っていたものだ。
おっと忘れちゃならない、101歳だか102歳で亡くなった父の母の世話までも。
紙オムツもベビーカーも、コンビニも電子レンジもない時代に、フルタイムの仕事をこなし、さらには研究もしながら、どうしてそんな芸当ができていたのか不思議で仕方ない。
私は夫や子ども、義父母の世話などないにもかかわらず、毎日ヒイヒイ言ってるというのに。私にはとうていマネできそうもない。
昭和のお母さん、というかうちの母、頑張り屋さんね。
ところが、100点満点というわけにはいかず、幼稚園時代の弁当はご飯と炒り卵だけとか味付け海苔だけだったこともしばしばというオチもあり。末の妹の弁当にウインナやイチゴが入ってるのがうらやましかったよ。
なんだろう、このライフワーク・アンバランス。
母の母も掃除だけ命がけでやって、料理は一切しない着道楽だった。祖母から見て孫の私は、育児経験なし、家事は手抜きで仕事ばかり。
この家系、何かに集中すると、何かがすっぽり抜けるらしい。
来年あたり、家の前の植え込み(都道)にチューリップでも植えてみようかしらねえ。
「ごはんとライスが食べたい」と、道中うわ言のように頭をめぐっていたが、
消費税アップしてもお値段据え置き 広島価格の西ヶ原
地元も案外イケるのよね
プレゼン・コンシェルジュNOVOの辛口web日記は
ただいま【3322号】