「私、活字中毒なの」などと口にする人がいるが、厳密に言えばそれは活字ではない。
文字列というか、文章というか…。
関係者に配られた「活字さようなら」の文鎮
本物の活字はとうの昔に、この世から姿を消しているからだ。
新聞社を束ねる通信社の技術の同級生と会っていて
「そういえば、私は中国新聞が活字だった時代をギリギリ知っていて、活字がなくなるときに、自分の名前を拾ってもらった」
という話になった。
私が扱っていたのはこれらの新聞
宝物なので、捨てるわけがない。
文具の引き出しを探してみたら、やはり持っていた。
半角含めて接着してある名前印
そう、昔は職人さんがお盆の上に活字を拾って、新聞紙面を組んでいたのだ。
名刺も書籍も雑誌も同様だ。
記念の文鎮を見ると、昭和63年(1988年)8月1日に完全にパソコン編集システム「フェニックス」に切り替わったようだ。
本屋大賞の大漁旗がカッコイイ
活字が消えて26年か。
52歳の私は、ちょうど半分が活字のある人生、半分がDTPの人生ということになる。
まさかこんなに皆が文字を入力して、情報発信する時代がくるとは…だ。
活字が消えて職を失った方も多いとは思うが、それでも誰もが自由に文字を入力して、レイアウトできる時代が来てよかった。
昔はどこの学校にも放送室ってあったね(神保町駅にて)
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