最近、先生を先生と呼ばない人が急増中だ。
放送作家はすべて「先生」なのよ 安達元一先生と
私は幼稚園から大学、社会人になってからのお稽古ごと…、私に教えてくださる方はすべて先生と呼んできた。
疑うこともなく。
バトンの横山先生を「弘子さん」とか、小説の櫻井先生を「櫻井さん」と呼ぶなんて、考えてみたこともない。
どこをどう切っても、この方たちは先生なんだから。
特に、スポーツクラブのエアロビクスのインストラクターなど、名前はよく分からないので「先生」と呼ぶと便利なのになあ。
私の両親は小学校の教員だったので、近所の人などからも「先生」と呼ばれていたことも影響しているかもしれない。
万が一にも私がバトンの先生を、「横っち」「弘ちゃん」などと呼んだら、まずは母が怒って直したはずだ。
そして、大人になってからは、私が認識する「先生」の幅も広がった。
お医者さん、弁護士や行政書士などの士業の方々、議員さん、作家、漫画家、放送作家の方々、茶道・華道の師範、カルチャーセンターの講師…。
当然ながら、学校教育、大学や大学院の教員も含まれる。
自分の周囲に案外放送作家の方が多いと気づく
そういう方々はいつも「先生」と呼ばれているので、そう呼んであげるべきなのだ。
夫も「先生」の一人だが、住宅の営業マンが我が家を訪問したとき、名刺を見た瞬間、呼び方が「天野さん」から「先生」に切り替わった。
その時、“コイツはできる!”と思ったものだ。
常に「先生」と呼ばれている山田太郎氏を「山田さん」と呼ぶ人たち。
本当に損をしていると思う。
損をしていることに気がついてないことも、大損なのに。
“あの人はフレンドリーだから…”と、「ヤマさん」「タロちゃん」「太郎」などと呼ぶ人は、勘違いもはなはだしい。
お目にかかったことはないが、石田章洋さんだって石田先生だ
高校生、大学生の教え子が私を「天野さん」と呼ぼうものなら、ただちにただしてもらう。
「学校の先生、しかも親ほどの年上の人をつかまえて“さん”とは何ごと?
私はあなたたちの友だちじゃありません。
就職活動では、先生や両親、会社の人をなんと呼ぶかでも判断されているんだから。
先生のことは先生と呼びなさい
親ではなく、父、母と言わなきゃダメよ」。
日本には敬語が存在すると同時に敬称も存在する。
呼ばれ方も敏感に感じ取って、相手なはあなたの好き嫌いを決めているんだから。
相手を敬う呼びかけが当たり前にできるかどうかで人生も変わる。
どうせなら、好感をもたれて、愛される人生のほうがいいですよね?
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