先週、関西から妹がやってきて、連発して帰った言葉がある。
「知らんけど」。
汚いと妹に注意されると思い、何もかも漂白
「あの人は○○じゃないかと思うよ。知らんけど」
「この店は△△が専門よね。知らんけど」
という調子だ。
それを、いちいち
「そう話したら何でもかんでも無責任に聞こえるよ。絶対にやめなさい」
とカットしていく姉の私。
中央白レオタード “知らんけど”妹(左)、口うるさい姉(右)
(全員、よく跳べている)
そういえば、大阪の人は語尾に「知らんけど」をつけるという話を聞いたことがある。
ネットでも話題になっていた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10116546765
けれども、妹は今たまたま関西に住んでいるだけで、広島で同じ親に育てられ、長らく東京に住んできた。
関西の言葉遣いがうつったわけではない。
第一、妹の「知らんけど」は広島なまりなので、大阪式「知らんけど」とはニュアンスが違う。
つまり、彼女一個人の口癖としての「知らんけど」なのだ。
私が「知らんけど」を使うとしたら、
「よう知らんけど、○○は△△なんかで売っとるんじゃないん?」
のように、頭につける。
「私も詳しくは知りませんが、○○は△△かもしれませんね」という一歩引いた言い方になる。
本文の前でエクスキューズしておくのと、完結した本文の後に付け足すのでは、聞いた印象は相当違うと思うけどなあ。
姉妹でカーブス体験に行ったの巻
とにかく、何かを伝える時に「知らんけど」はNGだ。
本人は無意識のうちに、投げやり、無責任な印象を発信してしまっている。
プレゼンテーションの見地からすると、すべての発言は「責任をもって」×「断言」しなければ、説得力がない。
推測、伝聞の話法では信頼されないのだ。
ニュースでアナウンサーが
「○○は△△でした。私は知りませんが」
と伝えたとしたら、情報の信ぴょう性は音を立てて崩れていくだろう。
広島在住時代、“私が紹介した花見の穴場”と広島の友人から写真が送られてきた
大阪の人が大阪で言う分には、それこそ「知らんけど」な。
私の前でそれを言い続けたら、直るまで徹底的に矯正してあげますわ。
鬼教官の下に生まれ、なんてかわいそうな妹。
- プレゼンの勝つテクニック 図解 書く・伝える・フォローする/実業之日本社
- ¥1,512
- Amazon.co.jp
プレゼン・コンシェルジュNOVOの辛口web日記は
ただいま【4033号】
新メールマガジン【完全希望制】
“秒速で直感!”天野暢子のプレゼン通信は第1木曜・第3木曜に配信!
購読手続きはコチラから ↓
PC http://ur0.work/qnMo
モバイル http://ur0.work/qnMr