大変なことが起こった。この世に一人しかいない姪が手術をともなう大けがをしたのだ。
まだ中学生の本人は痛かろうし、手術と聞いて怖いだろうし、母親(=私の妹)も不安で仕方ないと思う。私にできることといえば「早く治りますように」と祈ることくらいだ。妹が連絡してきたのに、あろうことか私は数日間そのメールに気付かずにいて猛省中だ。役に立たない伯母で申し訳ない。
教会には毎週日曜の礼拝のプログラムにあたる週報があり、最終ページに「祈ってください」というコーナーがある。入院された方などを紹介し、“当該の方のために皆さん祈りを合わせてください”と呼びかけるものだ。今回私は生まれて初めてこのコーナーに掲載してもらいたいと思った。今まで家族・親族が健康だったので考えてみたこともなかったが、いざ身内にそういうことが起こると藁にもすがりたい気持ちになる。
祈りというのは一人より二人、二人より大勢のほうが、効果があるはずだ。ただし、心の中でひっそり願っていても…ということで、「○○が△△になりますように」と声に出す祈祷会というものもある。ただし、普段から“メッセージは視覚が最も伝わる”と唱えている私は視覚で訴えたい。寺社の絵馬や七夕の短冊にはそういう意味があるのだ。が、キリスト教徒は絵馬も書かないし、お守りも買わない。
ではクリスチャンが視覚に訴える手段とは何か?と考えて思いついたのはブログだ。明文化すれば心の中で念じているよりは多くの方々に思いが伝わるに違いない。
季節はずれだが、七夕飾りを軒先に作ってみるか。そうだ、クリスマスのツリーかリースを出して、願い事を本郷通りに向けて掲示してみるのがいいかもしれない。これならキリスト精神にのっとっているだろう。
Nちゃんの手術が成功して、早く治りますように。
プレゼン・コンシェルジュNOVOの辛口web日記は
ただいま【第2791号】