豚汁を作るために、糸こんにゃくに包丁を入れていて、また思い出した。糸こんにゃくを切るたび思い出すことがある。
それはおそらく正月で我が家に母方の親族が集まってすき焼きをしたときのこと。 当時、高卒で社会人になったばかりの従姉妹の子が、糸こんにゃくを大皿に並べたとき、包丁を入れておらず、大きなかたまりのままだった。私の母が「A子ちゃん、糸こんにゃくは切って短くしてから出すんよ」と注意していた。
糸こんにゃくを切って皿に出す…当たり前のことのようだが、糸こんにゃくという素材を知らないとか、すき焼きという料理を食べたことがない人にとっては当たり前ではない。その従姉妹は幼い頃に両親が離婚してお母さんがいなかった。もしかしたら家ですき焼きを食べたことがなかったかもしれない。
彼女もよそで「母親がいないから、○ができない、△も知らない」と言われないように必死で頑張っていたはずなので、こんなことを言われて大丈夫かな?うちのことがイヤにならないかな?と心配した。こんにゃくごときで、今で言うところのトラウマにならなきゃいいが…と心配だったのだ。
おそらく、言った母も、言われた従姉妹もそんなことは覚えてないと思う。鮮明に覚えていて、こんにゃくトラウマになっているのは私のほうなのだ。私が小学年低学年の頃、別の従姉妹が口にした発言でも「おばあちゃんにそんなことを言って困らせないで」と小さな胸を痛めていた。
おそらく、小さい時からひとの顔色ばかりをうかがってきたのだろう。「あ、今あの人、眉間にしわが寄った」、「今、私この人からこう思われてるんだろうな」とびくびくしながら生きてるみたい、こう見えて。
プレゼン・コンシェルジュNOVOの辛口web日記は
ただいま【第2793号】