2016年の聖餐式リポート。
大会堂より小礼拝堂の方が好き
毎週ではないけれど教会の礼拝には定期的に通っている。
日中は何かと用が多いので、夕礼拝に。
時に邪悪で、時に敬虔なクリスチャンだ。
しばしば、讃美歌を歌い、説教を聞かないと心身のバランスが取れない気がする。
かの瀬戸内晴美さんが、のちに仏門に入り瀬戸内寂聴になったようなものと考えていただければ。
寺社はお参りしないし、月定献金も奉仕もしているので、教会員としての務めは果たしているのでは?
ホワイエのステンドグラスも有名
そして、夕礼拝は人数が少ないので小礼拝堂で行われる。
従って聖餐式も少人数なため、新しく赴任してこられた主任牧師の先生は大胆なスタイルを試みられた。
聖餐式とは、キリストの肉=パン、キリストの血=ブドウ酒を分けていただく儀式だ。
受洗していないと加われないので、キリスト教主義の中高に通っていたくらいでは見たことがないかもしれない。(自分はミッションスクールに行ってないのでわからない)
食パンをサイコロ大に切ったものと、小さなガラスの杯に入れたブドウジュースを銀のトレイに乗せ、手袋をはめた担当者が会堂を配って回る。
一般的な聖餐式のパンとブドウジュース(ネットより)
そのパンを、約2000年前のスタイルの丸いパンにし、皆の目の前でちぎるというパフォーマンスをされた後宮(うしろく)先生。
これは会衆が100人、200人といる場ではできないことなのだ。
10-20人までの参加ならなんとか目の前でちぎることができる。
後宮先生がされたのは去年11月のことだったが、年が明けて1月の聖餐式では井上先生が実施された。
前後は白布がかけられている
「これは、主イエス・キリストの肉です」
と全員に個別で伝えてパンを渡される。
結構大変だけれど、パンの重みが伝わる。
私は神社で熊手も買わなければ、寺を巡ってお遍路もしないので、ご利益主義で神頼みはしない。
ご利益があると聞けば宗派問わずなんでも拝むというのは、あまりにご都合主義で、私にはできそうもない。
日本人なら誰もが初詣に行き、神輿をかつぐと思ったら大間違いなのだ。
神道でも創価学会でも金光教でもいいから、信仰は一つだけにしておいてもらいたい。
常に「神がよきようにご準備くださっている」と考えられるかどうかで、心は静かでいられる気がする。
アラ80のFさん、初めて奏楽のご奉仕
(教会のオルガンは音楽主任以外、女性しか見たことがなかった)
心がざわつく方は受洗しなくてもいいので、たまには日曜朝か夜の礼拝に参加してみられることをお勧めします。
ちなみに私が所属する日本キリスト教団・霊南坂教会の大会堂はパイプオルガンで進行します。
教会員だった故・平山郁夫画伯の絵画もあり。
夜はオルガニストの方が自主練される
それらを聞き、見るだけでも、いくらかの癒しは得られるのではないかと思います。
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