8月5日には日本テレビのおかげで、東京にいながら私にゆかりがある広島の場所を見せてもらった。
市ヶ谷は陸軍の町だからこんなテーラーも見かける
朝のワイドショー「シューイチ」では、広島の原爆投下、爆心地である中島町のあたりをVR(バーチャルリアリティ)で再現する高校生の取り組み。
父が最後に勤務したのが中島小学校だったので、そのあたりが被爆前どのようだったかは私も知りたい。
(VRに取り組む福山工業高校は母の友人が教鞭をとっていたのではなかったか?)
私も初めて戦前の中島町の街並みを見た
さらには、夜の報道番組「バンキシャ」では、ジャーナリストの池上彰さんが平和公園からリポートしていたが、幟町小学校の新任教師の取り組みも取材していた。
幟町小学校は私が小学校低学年の頃、父が勤務していた学校で、26歳のその先生は随分と後輩にあたる。
小1には「宝物が一瞬で奪われた」と教えるそうだ
広島の先生は小中高に関係なく、もれなく平和教育を担当する。
よその地域は違うと思うが、広島の大学で教員免許をとった私などは、同和教育、平和教育はセットで学んで、セットで教えられないと資格は取れなかった。
(なぜ鮮明に覚えているかというと、真剣に取り組んだ同和教育の成績がCで、担当のK先生に文句を言いたかったから)
東京の観光地には外国人観光客が押し寄せていた
私が幼稚園から大学までの時代なら、そこかしこに被爆者の方がいて、被爆体験を聞くことができた。
親族のこともあれば、近所の方のこともあったし、年回りによっては、先生に被爆や戦争体験があることもあった。
親以上の世代の鬼教官
ただ、今は、教わる生徒に被爆体験がないばかりか、教える先生も戦争は知らない。
番組の中では、新人先生の指導教官(62)という方が登場した。
校長先生かと思ったがそうではなく、広島県には新人教育インストラクターみたいな仕事が新設されたんだね。
その方が
「何のために教える?」と問うた時、若い先生は答えられないでいたが、
「子どもたちが、語り継げるように、教えていくんだ」と教えられていた。
それで、私たちが学んできたことも、先生方は
「私たちが語れるように教えてくださった」のだと気づけた私。
そういう意味で、見たことのない場面を見えるようにするために、VRを作っている高校生たちの活動にはとても意味がある。
私はそういう技術は持ち合わせていないが、大学生なら手伝える人材もたくさんいるはずだ。
浅草の流しそうめん
そんな行事ができる日本であってもらいたい
そういう技術を持っている学生さん(例えばM2のコウチくんとか)、ぜひ手伝ってあげてほしいな。
お願いします。
私は、祖父母世代から聞いた話の断片だけでも語り継いでいくことにします。
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